スタッフ・ボランティア日記バックナンバー 2009年1月〜2010年3月


2010年3月31日(水) みんなが一つになって作る素晴らしさ

 お久しぶりです。スタッフの西村です。
 センターでは、障害をもつ学生交流会も終わり、ここ数ヵ月のバタバタした日々から少しは解放されそうな雰囲気です。
 さて、今年の交流会は・・・。参加者が10名ほど、ボランティアさんが15名くらいと、これまでになく少人数な交流会。そのぶん、みんなのまとまりがあり、参加者もボランティアさんも、実行委員やスタッフも、最初から和やかな雰囲気で、時間もゆっくりと流れていたように感じました。
 初めて参加する人や交流会の常連さんなど、参加者やボランティアさんの顔ぶれも様々。リピーターが何人かいたおかげで、「久しぶり」「元気だった?」という会話から始まり、新しい人を暖かく迎える雰囲気も自然にできたのかもしれません。人数が少ないぶん、お互いの顔が見え、それぞれの人と話す機会もあったのではないでしょうか。また、気をきかせて自発的に動いてくれたボランティアさんのおかげで、会全体にまとまりができました。企画してきた実行委員やスタッフだけでなく、その場にいた参加者の一言、ボランティアさんのフォローなど、いろんなことが解け合って、一つの「交流会」が作られたのを実感できた時間でした。
 「一つにまとまった感じ」と言えば、先月に参加した東京マラソンも、同じような印象を受けました。規模は交流会と比較にならないほどの大きさですが、走っているランナー、応援してくれている沿道の人たち、裏で大会を支えてくれているボランティアさんやスタッフなど、本当にいろんな人の力が一つになっていた気がします。
 当日は寒い雨。その中で誘導や荷物の受け渡し、会場の整備や走り終わったランナーを迎えてくれるボランティアさん。その暖かい言葉に力をもらいました。また、沿道の応援やパフォーマンスは、走りながら見ていても楽しく、「次は何があるのかな?」と走っているときの疲れを吹き飛ばしてくれました。また、一緒に走っているランナーさんからは、仮装した服装や沿道の人たちへの気配りなどから、「一緒に楽しむ」という雰囲気が伝わってきました。
 いろんな立場の人が一つのものを作る素晴らしさを感じた、ここ数ヵ月でした。


2010年3月31日(水) 自分の運命を選んだ犬

 情報誌のライターをしている山内です。私の友達の事を書きます。
 その人は親から精神的に虐待を受けていました。物心ついてからずっと母親に「あんたなんか生まなければよかった。あんたなんか大嫌い」と毎日言われ続けてきたそうです。「この年までの分を勘定すると、百万回まではいかんけど、そんな感じ」と言います。そんな生い立ちだから、家庭をもつなんて考えてもいなかったのにステキな出会いがあり、彼女は結婚をしました。「母親と同じことをしてしまうのが怖いから子どもは持たない」という彼女を受け入れてくれた彼と。
 固い決心通り子どもは持たれませんでしたが、たいそうな“犬持ち”です。彼女は虐待を受けた犬をもらってきて飼っているのです。前に来た犬は、ゴミ捨て場にゴミと一緒に捨てられていました。何日もうずくまっている犬がいるという情報を聞いて保護しに行き、彼女の犬になったそうです。今はそんな3匹と一緒に暮らしています。
 最近来た犬の話です。ある時、彼女の家から少し離れた地域に、ネグレクトされている犬がいることを知りました。明らかに病気で、状態がとても悪いのに世話らしい世話をしてもらっていないのを知って、彼女はその犬をもらい受け、自分のところで看取ってやろうと思いました。そう思った矢先のある雨の日、彼女の家の前にその犬がやってきたのです。(どうして彼女の思いや彼女の家がわかったんだろう)
 ずっと彼女の家の前でいたらしい、そのびしょぬれの犬を抱きしめ、彼女はその場でその犬を引き取ることを決めました。そして飼い主のところに話しに行きました。もちろん渡りに船! 交渉成立です。
 彼女はその犬を家で看取ってあの世に送ってやるつもりだったのですが、介護し、いつくしんでいる毎日が重なっていったある日
「えっ、この子、毛づやがこんなによくなって。なんか病気じゃなくなってきたみたい」と、はっとしたんだそうです。
「あんたは自分の運命を自分で選んだんだね。与えられた運命から、自分で違う運命を作って歩き始めたんだね」と話したんだよ。
 そう言って電話の向こうで話す彼女に
 私は、「あんただってそうなんだよね」と心の中で言いました。
「私だって自分で自分の運命を変えてきたから、今もこうして生きているんかもしれないな」と、独り言を言っている私です。


2010年3月17日(水) <それぞれの鳥たち>

 情報誌のライターをしている山内です。お変わりありませんか?寒かったり、暑かったり本当に自然の気ままさについていくのが大変です。
 私のところに犬が来て3年ちょっと。朝夕の散歩のおかげで、季節の移り変わりを感じる、その感じ方がずいぶん変化しました。
もともと自然が大好きなのですが、最近は朝の公園で出会う鳥たちに魅了されています。日本野鳥の会お勧めの野鳥図鑑によると、すばやく動く鳥の姿を追って見分けるのは大変なので、鳥の声を覚えて、声を頼りに探すと見つかりやすいし、初めから探す鳥がわかっているのでわかりやすいそうです。それで、その図鑑付録のCDを聞きながら鳥たちの特徴や性質を勉強してみました。
 しばらくすると、今まで“鳥”としてしか見ていなかったのが、それぞれに名前がつき、どんどん私の“鳥”が増えていくではありませんか。
 その本には“鳥を見つけるテクニック”が色々書いてあります。まず、“野生の勘を磨く”こと。野鳥は「いる」と思うことから始める。何も知らないと、家の周りにはスズメかカラスかハトしかいないと思って過ごしてしまいます。実際私が住んでいる町田市の住宅地でも、よく見ると、スズメと似た大きさで、シジュウカラ、メジロ、ウグイスなどがおり、公園ではヤマガラ、エナガ、カワラヒワ、などが見分けられます。小型のキツツキのコゲラも普通にいます(コゲラはねじを巻くようなギィーという声ですぐわかります)。
 そして「フィールドで鳥のいるところは大体決まっているから、生き物が暮らしていく上で必要な条件を考えてみればわかるはず、まずは鳥の気持になって考えてみましょう」とありました。
 そういう私も、最近今まであまり使っていなかった遠近両用めがねをかけて散歩に行くようになって、全部スズメと思っていたけれど色々な鳥たちがごっちゃになっていたのだと気がついたのです。
 とここまで書いて、少し思うところがありました。わたしたちは人間に対しても、スズメかカラスかハトしかいないと思うような鈍感な感性で対していないでしょうか。健常者。障害者。外人・・・そんな“仕分け”をしていないでしょうか。一人一人の個性や特徴を知り、それぞれの違いを尊重することを忘れてしまうと、スズメ、カラス、ハト仕分け型の殺伐とした社会になってしまうような気がします。
 鳥たちがねぐらにしているであろう茂みの前でじっと立っていると、私のことも自然の一部とみなしてくれたのでしょうか、小鳥たちがジワーッとわいてきます。一羽一羽が名前をもった、それぞれに美しく輝く小鳥たちに、今日も会ってきましたよ。


2010年3月17日(水) Inside-Out(内から外へ)を心がけた生き方

 介助者の木村です。先日プールの話題が出たので、私も泳ぎたくなり、一般市民に開放している中学校のプールに行ってきました。
 プールで泳ぐのは2年ぶりくらいでしたが、柔道を再開して心身を鍛えていたからか、気持ちよく泳ぐことができました。黒澤さんもいかがですか?
 さて、私にはひとつ大切にしていることがあります。誰かに何かを勧めたり、助言したりするときは、「自分自身はどうかと振り返ってみること」「まずは自分自身から実行すること」ということです。
 これは、以前それができていない上司から、無理難題な指示を受けた時に嫌な思いをして以降、心がけていることです。
 私の愛読本に10年以上前にベストセラーになった『7つの習慣』(キングベアー出版、スティーブン・R・コヴィー著)があります。先に書いた、大切にしていることは、この本でいう「Inside-Out(内から外へ)」に当たると思います。本には、「インサイド・アウトとは、自分自身の内面を変えることから始めるということであり、自分自身の根本的なパラダイム、人格、動機などを変えることから始めるということである」と書いてあります。
 親が子どもに教育上必要だと思って何かを言う前に、親自身が実践すべきだと思いませんか?社会福祉や介護の専門職は、利用者やその家族に理想を話す前に、自分自身が家族や地域社会でそのように実践すべきだと思いませんか?上司は、まず自分自身で難関を突破する姿を部下に見せる必要があると思いませんか?教育者は、自ら理想を実践する姿を児童生徒に見せる必要があると思いませんか?
 皆さんは、子どもの頃、部下だった頃、児童生徒だった頃、親、上司、教師にそのように期待しませんでしたか??私自身も、こういうことを公開されているボラ日記で書く以上は、介助者として、教育者として、専門職として、武道家として、日本人としてInside-Outを心がけ続けたいと思います。


2010年2月23日(火) 講演「高次脳機能障害を理解する」を聞いて心に残ったこと(2)

 情報誌のライターをしている山内です。2月5日の報告に続けます。
納谷さんの講演に続いて、北京パラリンピックの自転車競技で金・銀・銅のメダルを獲得した石井雅史さんと、その主治医の橋本圭司さんが「当事者から伝えたいこと」というテーマで対談をされました。
 将来を期待される競輪選手であった石井さんは、8年前練習中の事故で脳を損傷し、高次脳機能障害になりました。入院中は、見舞いに来ていた友人が帰った瞬間にだれが来ていたのかわからなくなるし、自分は13歳だと言うし、聞いたことには見当違いの答えが返ってくるばかりだったと、奥さんの智子さんは振り返ります。
 二人が結婚を前に一緒に暮らし始めて5日目に石井さんの事故がありました。智子さんはそれでも迷うことなく結婚をし、石井さんと共にリハビリをし、今は二人のお子さんにも恵まれて、平穏とは言えないけれど幸せな日々を送っているとのことです。
 石井さんは、記憶が途切れ、考える力が低下し、集中力が続かない。歩くことも十分にはできないという後遺症を持つ中で、橋本圭司先生が中心に行われていた高次脳機能障害のリハビリグループ「オレンジクラブ」に参加します。家族のケアにも重点を置いてのサポートをされる中で“自転車”にまた出会うことが出来、北京パラリンピックで金メダルを取るという目標を見つけました。
 新しい記憶が定着せずに消えていってしまう石井さんですが、“脳は忘れても体が覚えていてくれること”に出会うことが出来、自転車のペダルをこぐと自然にアスリートとしての感覚がよみがえるのです。北京パラリンピックを目指して自転車をこぎ始めた石井さんの表情がどんどん明るくなっていったそうです。
 石井さんも智子さんも、なくしたことにこだわるのではなく、今与えられているものを感謝し、今出来ることをしていこうという姿勢で、実に自然に生きておられます。北京大会のあと、人々に勇気を与える石井さんには、石井さんにしかできない仕事が与えられました。石井さんは、石井さんに会って励まされたいという多くの人々の招きによる講演活動もたくさんこなし、家のこと、子どもの面倒も見ながら、奥さんと2人3脚の生活をしているそうです。
 智子さんは「朝起きたら『おはよう』と言えること。『おいしいね』と言いながらご飯を食べられること。出かけたらちゃんと『ただいま!』と無事に帰ってきてくれること。事故後、私の願っていたこと、夢だと思っていたことが、全てかないました。」と言っています。辛い時も希望を失わず、プラス思考で生き抜いてきた、智子さん、石井さん。お子さんたちと一緒に、毎日“新しい愛の記憶”を書き続けていってください。
(智子さんの言葉は、当日配られた資料、NPO法人日本脳外傷友の会の機関紙「JTBIAつうしん」の記事を参考にさせていただきました)
 


2010年2月23日(火) ダイエット方法の紹介

 介助者の木村です。
黒澤さんの「困っています・・・」を読みました。
実は、私もメタボ予備軍なのでここ数年間は健康維持と体力向上に努めてきたつもりです。

山内さんが「おススメ!水中ウォーキング」で提案した「水中ウォーキング」はいいですよね!
そして西村さんが主張する「続けることが大切!」が重要ですよね!

私も一昨年20年ぶりに柔道を再開するにあたり、道場前のマンションに引っ越しました。
そうすると道場仲間が「電気がついているのに来てない」と思うので、さぼれないんです。
性格にもよるでしょうが、さぼれない環境をつくるのは大事ですよ。
例えば、町田市内にある中学校のプールは経済的だし、近いというメリットがありますね(私も春から行こうかと検討中)。
仲間とまではいかずとも顔なじみさんができると「最近あの人見ないな」と思われたくない心境になろうかと思います。
体重とかウエストサイズばかりで評価しようとすると最初はつらいでしょうから、筋力の張り具合とか、体力面の向上だとか、食事が美味しく食べられるといった評価ポイントを持つことも重要です。
あと「禁酒」とか「油もの禁止」はテンション下がりますから、プールに行った週はビールを缶何本まで飲んでいいというご褒美も大事です。
(ご褒美だらけじゃん!って思われないように)

そんなことを言っても、、、という場合には、これなら簡単!ダイエットグッズを紹介します。
@「はいて、歩いて、体脂肪を燃やそう」というワコールの男性下着「CROSS WALKER」をはく。
A1日10分巻くだけ!1分間に6200回転のサイクロン振動!「SUPER MAX TURBO!」を使用する。
この他にも携帯電話付属の万歩計数値を意識したり、油ものを食べる前にはキャベツの千切りを食べるか野菜ジュースを飲むとか、夜9時以降の食事や間食は避けるとか、無理なく自分にできることを探しては取り入れています。

最後になりますが、1月末の国家試験に備えて飲み会を自粛していましたが、解禁となったので今後飲みながら情報交換しましょう!


2010年2月5日(金) 講演「高次脳機能障害を理解する」を聞いて心に残ったこと(1)

情報誌のライターをしている山内です。さる1月23日に朝日新聞の主催で開かれた講演会に行って来たので、その感想を書きます。
 この講演会では、事故などによる脳の損傷の後遺症により、言語、動作、認知に関わる機能に問題が起きてしまった場合の障害について、専門家、当事者および当事者の家族などが語って下さいました。その中から、とても心に残った二人の方のお話を紹介したいと思います。
 納谷敦夫さんは精神科医ですが、息子さんが大学在学中にラッタッタに乗っていて車にぶつかり、奇跡的に命は助かったけれど植物状態に近くなってしまいました。小児科医であった奥さんと共に、全く反応のなかった息子さんに必死に働きかけ、介護をし、そして見捨てられそうになった命を助けることが出来ました。今は息子さんは非常に重度の障害でありながら、家で一緒に暮らしておられます。
 納谷さんは、息子さんのような人たちが地域の中で生きていけるためにと、大阪府の職員となって精神保健医療、医療福祉行政に携わって仕事をされました。2001年の高次脳機能障害モデル事業でも中心的な役割をされました。
 退職後は“なやクリニック”を作って、同じような障害の人たちのケアや、当事者、家族のネットワークづくりなどに自らの人生を捧げておられます。また堺脳損傷協会の役員として活動しておられ、「意識の回復を待つあいだに家族に出来ること」や、重度脳損傷者が地域のグループホームで生活しているオーストラリアの情報をまとめた「オーストラリア脳損傷事情」などの冊子を出しておられます。
 納谷さんは「家族の支援が本人の支援」ということを強調しています。とても重度の障害の場合、リハビリするといってもどのように回復するかというビジョンが持ちにくく、シュミレーションをすることも難しい。だから生活そのものがリハビリにとって必要であり、そのためにも、家族と共に、また地域社会の中で生きることが大切であると考えておられます。しかし、家族だけでそれが出来るわけではなく、共に分かち合ったり助けあったりできる、そういう支えが必要です。そのためにも、まず高次脳機能障害を理解していただきたいと言われました。
 とても印象に残ったお話を最後に書きます。納谷さんの息子さんが退院を許可してもらった時、納谷さんは「家に帰れるんだね。よかったね」と言いました。その時(リハビリで少しだけれど字を書いて意志を伝えることが出来るようになっている)息子さんは、「嬉しいね」という言葉に同意はしませんでした。
 「じゃあ、どこに帰りたいの?」と聞くと「下宿」と答えました。
一度大人になって家を出た男の子にとって、帰りたいのは“家”じゃなくて“あの時”なんだということがわかって、その時から「息子は私たちのところにいてくれるんだ。私たちは息子のお世話をさせてもらっているんだ」ということを決して忘れてはいけないと思っている、と言われた納谷さんでした。


2010年2月5日(金) 続けることが大切!

2010年2月5日(金) 続けることが大切!
 スタッフの西村です。山内さんの「このコーナーで報告してみたら?」に私が反応してみたくなりました。最近の報告です。
 東京マラソンまで1ヵ月を切りました。12月の筑波では、6時間耐久マラソンに参加。数人でチームを組んでリレー式で走りました。メンバー同士で適当に交代しながら6時間走り続けるものです。私は1周2キロのサーキットを、トータルで4周しました。おかげで、マラソンで10キロ走れそうな自信がつきました。広々とした会場は気持ちよく、サンタさんの格好や、くまのプーさんの着ぐるみで走っている人もいて、見ていて面白かったです。これも、伴奏者がいてくれたから分かったことです。
 今は、週に3〜4日のペースで走っています。実際のスタート時間に会わせて仕事の前や、昼休みに時間を作っています。続けていると体は正直で、筋肉の付き方や持久力が変わってくるのを感じます。目標があると頑張る気持ちも出てきます。でも、少しサボると元に戻るのは早い!継続が大事だと、つくづく思う毎日です。寒さに負けそうですが・・・。
 さて、「継続」と言えば・・・半年ほどお休みしていた吹奏楽にも1月から復帰。久しぶりに楽器を吹くと、音が出ない・口の筋肉が震えて保てない・息が続かない・・・。何気なく吹いていた楽器がこんなに大変だったとは!続けていたから吹けたんだ、と改めて気づきました。今は6月の定期演奏会に向けて、ブランクを取り戻すべく悪戦苦闘中です。ホント体は正直、コツコツ続けることが力になるんですね。
 


2010年1月20日(水) おススメ!水中ウォーキング

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。
 13日の黒澤さんの投稿を読みました。体重の問題でお悩みとか。メタボの夫をもつ者として、しかも“運動不足の中高年夫の妻”の山さんから一言。「失礼しちゃうわ」と思われたらごめんなさいね。
 最近サボり気味なんて言わないで、ぜひぜひ水中ウォーキングを頑張ってください。
私の友人で脳梗塞から生還した人がいます。リハビリと運動不足の解消とが出来て、しかも体に負担の少ないエクササイズとして、水中ウォーキングが一番だといっています。友人は結構な高齢なので、必死になろうと思ってもプールに行くだけで大変。でもとにかく続けています。生きるために。そして奥さんのために。彼の健康が心配でたまらない奥さんのことを何より気遣って頑張っているのです。
 幸いなことに、町田市なら、第一中学校とか成瀬の体育館とか、市民なら経済的に負担がなく通える施設がいくつかありますから、スポーツクラブに投資する余裕がなくても大丈夫だと言っていました。
 提案があります。黒澤さん、この間の投稿で、みーんなばらしちゃったんだから、この際、同じような問題で悩んでいる多くの人のために、一肌ぬぎませんか。たとえば「黒澤修一の水中ウォーク日記」みたいな感じで、頑張っている様子をこのコーナーに時々報告したり。そうやって、テレビのタレントみたいに読者と一緒に頑張ってみることができたらいいな、と思いました。
 仕方なくでも、みっともないからでも、何でもいいから、何か縛るものがないと、なかなかこういうのって続かないものです。だから自分1人で頑張っているんじゃないよっていう感じで、水中ウォークをする黒澤さんの状況を時々報告して、それとなくこのコーナーを読んで、よし、自分も頑張るか!なんて思っているだれかのためにエールを送ってくれるといいなと思います。悩める中高年にもよいきっかけになるかも・・・。ぜひ水中ウォークの実況中継をしていただけるようにと、期待して待っています。


2010年1月13日(水) 困っています・・・

 久しぶりに投稿します。元ボランティアの黒澤です。
 少し遅くなりましたが、皆さま明けましておめでとうございます。皆さんはお正月はいかがでしたか?私は仕事の関係で、年末は30日まで、年明けは4日から仕事だったので、のんびりしたようなしてないようなお正月でした。
 さてさて今回の話題は…ダイエットです。最近太り気味の小生は、大腿骨にボルトが入っているために足の負担が増し、歩くのが少し大変になってきています。
 毎朝、体重を計り、落ち込んだり、元気になったりの繰り返しの日々を送っています。大腿骨にボルトが入っているので、走ったりすることもできず、さ〜て、どうやって体重を減らすかを考える毎日を送っています。
 食べる量を減らしたり、間食をしないようにしてはいるのですが、ちょっと気を抜くとすぐに元の体重への繰り返し…。私の妻も食事には気を使っていてくれてとても感謝しているのですが、これでは妻の努力が報われないのです。皆さん、どうか運動をしないでやせる方法があれば、是非是非ご教授下さい。ちなみに時々プールに行って水中歩行はしています。←最近はさぼり病が発生しています。
 まだまだ寒い日々が続きますが、皆さん風邪などひかぬよう(特に受験生は注意)、お元気でお過ごしください。


2010年1月13日(水) 勇気づけられたこと

 あけましておめでとうございます。情報誌のライターをしている山内です。
 年明け早々うれしいことがありました。年末にここで紹介した放送大学の授業のことを書いた原稿(12月3日「放送大学の授業から」、12月17日「バンドエイド はじめてものがたり」)を、ネタ元の東海大学教授、小野豊和先生に、情報誌と共に送らせていただきました。それに対して小野先生は、ご自分が書かれた論文や記事を同封して、センターの仕事にも温かい励ましの言葉を送って下さったのです。
 授業のあと、先生のお話しにあった、ある特例子会社での取り組みについてお聞きし、「障害者にとって力強い先人たちの仕事を少しでも紹介したい、ぜひ本などを書かれて、社会に知らせていってほしい」という私の気持ちを語ったことの延長に、このようなエールが送られてきたのです。
 
 「情報開示と障害者の自立 〜交野松下(重度障害者多数雇用事業所)における小集団活動の考察を中心に〜」という論文は、小野先生が組織学会(戦後、日本で最初にできた経営関連の学会)の機関誌に2005年に書かれたものです。
 そこは従業員の8割以上が身体障害者で、その多くが車いすを使っていました。“工場の主役である車いすの労働者が働きやすい環境の整備。障害者が自立し、障害者自身による生きがいの創造”を目標として掲げる工場長と共に、円高不況下でどのようにして存続の危機を乗り越えてきたかという報告でした。
 障害者雇用事業所の経営トップが、自ら従業員に対して細かな経営情報を伝え、コミュニケーションを図りながら、一方で、障害者自身の“自主・自立・自発”を促す雰囲気作りに情熱を注ぎました。障害者の目線に合わせた生産機械の設計、固定給与制から双方向コミュニケーションによる個別業績評価方式の給与への移行など、障害者であっても経営に参画できるという実感を持つことにより、障害者の自立が進んだということです。
 人と人が存在を認め合い、出来ることを精一杯持ち寄って困難を乗り越えていく中で何かが変わり、社会も人も成長していくものだということを感じました。そしてそれは本当は当たり前のことなんですよね。
 障害者と健常者という違いがバリアーになっていることは今も昔も変わらないような気がします。私は、障害あるなしは関係なく、当たり前に支え合い助け合って行けるということの力強い証しとして、論文を読ませていただきました。
 一方、会社と地域との関係づくりもそう簡単ではなかったということは容易に想像がつきました。しかし、「障害者の自立とは、障害者本人の自立でもあり、バリアフリー思想に目覚めていく市民の自立でもあった」とこの論文には書かれていました。

 工場がある交野市の市民で、身障者スポーツ大会で活躍する人も多いと聞きます。また従業員の一人は、1995年のNHKのど自慢で“車いすのグランドチャンピオン”
になり、こんな歌を歌いました。尾崎豊の歌でした。
「僕が僕であるために」
 心すれ違う 悲しい生き様に ため息もらしていた
 だけど この目に映る この街で 僕はずっと生きてゆかなければ
 人を傷つけることに 目を伏せるけど やさしさを口にすれば 人は
 皆傷ついていく
 僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものが何なのか
 それが この胸にわかるまで
 僕は街にのまれて 少し心ゆるしながら この冷たい街の風に歌い続けてる・・・


2009年12月18日(金) パソコンの恩恵

 こんにちは。スタッフの西村です。書きたいことがいっぱいたまってたのに、時間がなくて今になってしまいました・・・。
 私が愛用してきたパソコンの話。11月中頃、突然、電源が入らなくなり、そのまま修理に行ってしまいました。その後の私は?
 仕事でパソコンが使えない=文書の読み書きができない。仕事上で、本当に何もできなくなってしまいました。情報誌の発行前で、原稿を作ったり校正したり、仕事は山ほどあるのに。とにかく職場にあるパソコンを私が使えるように設定しなおさなくては。視覚障害者用の音声ソフトと文字拡大ソフトを入れることはもちろん、自分が使いやすいようにソフト内の設定を変えて、自分のパソコンと同じようなキーボード操作と画面の表示に変更しました。2日間かかって、何とか使える状態になりましたが、文字の拡大をするソフトがうまく動かず、今もパソコンをなだめすかしながら何とか使っています。いろんなカ所の設定を変更しても、新しい作業をするたびに使いにくさを発見。知らず知らずのうちに、自分のパソコンは使いやすいように工夫してきたんだな、ということに気づきました。
 インターネットが使えなくて情報が入らない。電車の経路や時刻表を調べたい、今晩のおかずをどうしよう?レシピを見たい、買い物や病院の情報を調べたい。そんなちょこっとしたときに、何度パソコンのスイッチを入れたくなったか。
 突然できることが制限され、何気ない情報も入ってこない。自分でもびっくりしましたが、一人だけどこかに置き去りにされたような感覚になりました。それだけ、パソコンが「体の一部」「目の代わり」になっていたんですね。あったものがなくなるって、本当に不便です。私のパソコンは修理できなかったので、そのうち新しいのを買わなくては。でも、私が使うためには、音声や拡大のソフトもそろえなくてはならず、ちょっと頭の痛い問題が残ってしまいました・・・。


2009年12月18日(金) 伴走者と一緒のマラソン

 スタッフの西村です。私事ですが、ひょんなきっかけから、2月28日に開催される「東京マラソン」の10kmに出ることになりました。
 学校を卒業してから運動らしいことはほとんどしたことのなかった私。突然、降って沸いたような出来事にとまどいながらも、せっかくの機会だからと、挑戦することにしました。その大きなきっかけは、視覚障害のある私と一緒に走ってくれる伴走者が身近で見つかったことにあります。
 中学・高校時代のマラソン大会では、コースが分からず、近くで走っている人から離れないように一生懸命ついていったり、ゆっくりペースの人に合わせたり。自分のペースで走っていなかったような気がします。コースが分からなくなったらどうしようという不安が常にあり、ちょっとした坂や段差につまずきそうになることもしばしば。先生の配慮で、一緒に走ってくれる先生や自転車で伴奏してくれる先輩をつけてもらった年もありました。そのときはコースを間違える心配はなくなりましたが、「横にいるだけ」の存在でした。
 どうすれば自分らしく走れるか?参加者の多いマラソン大会で初めてのコースを走る。これには、私と一緒に走ってくれる人がいることが、参加の絶対条件でした。10月の終わり、伴走者と初めて一緒に走りました。輪にした紐やロープを手に持って走るのも、ガイドしてもらいながら走るのも、お互いに初めての経験です。道の様子や周りの様子を伝えてもらうタイミングや言葉の掛け方、私のペースに合わせて走ってもらうことなど、試すことはたくさんありました。でも走っているうちに少しずつ感覚がつかめてきたような気がします。
 走り終えてみて、今までと集中している場所が違うことに気づきました。今回は、ロープから伝わってくる動きや声、伴走者の動く音など、目以外の感覚に集中していました。精神的にも、見ることを頼りに走っていた頃よりずっと楽で、疲労感も少なかったように思います。道はこんなふうなんだ、周りの様子はこうなんだ、ということが分かることで、走ることを楽しいと感じました。
 練習を始めて2ヵ月。普段は週に2〜3回、川沿いの遊歩道を一人で走っています。道に迷うことはないけれど、人や自転車にぶつかりそうになったり、ハトや影にびっくりしたり。伴奏者と一緒に走れる時間がなかなか作れないのですが、19日(土)には、茨城で開かれるイベントで久しぶりに一緒に走る予定です。走ることを楽しみながら続けたいと思っています。


2009年12月17日(木) バンドエイド はじめてものがたり

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。前回報告した放送大学での小野豊和先生の授業「広報と危機管理」の中で心に残った話を紹介します。小野先生は、自分の会社を愛し、会社に誇りを持てることが、広報担当者として最も大切なことだと言われました。そして、会社を作った時の、作った人の志を知ることが大切だと教えて下さいました。
 J&J社のバンドエイドがどうやってできたのか、というお話です。
アメリカの南北戦争の時のことです。北軍、南軍いずれも多くの兵士が亡くなりました。亡くなった人の多くは、撃たれた傷や切り傷の化膿によるものだったそうです。傷が化膿しなかったら死ななくてもすんだのに。死ななくていい人が死んでいくのを助けられなかったことに苦しみながら一人の人が考えついたのは・・・“消毒液を浸したガーゼ”を用意して、傷の手当てにあたることでした。そしてその人は両軍の傷ついた兵士を1人でも多く助けたいと、そのガーゼを持ってけが人の手当てをしました。その結果、傷の化膿が原因で死亡する兵士の数は大幅に減ったのだそうです。その人がのちにJ&J社を創立し、ばんそうこうに消毒液を浸み込ませたガーゼを付けた“バンドエイド”を作って世界に広めたということです。
 J&J社製のバンドエイドはちょっとお高いけれど、創業者の気持を込めた消毒液がついていると思うと納得!それはこの会社が生まれた背景と理念を今日まで継承する証なのです。南北戦争の時のことだから今から150年近く前のことです。こうしてJ&J社が創業の理念を今まで継承してきた事実を知り、とても心に感じるものがありました。
 近日発行される予定のセンターの機関誌(情報誌66号)で、2年近く連載していた「山さんのセンター今むかし」は最終回となります。今、山さんは「障害の有無にかかわりなく、全ての学びたい人が、学びたい時に、学びたいように学べる社会」を目指して全国障害学生支援センターを立ち上げた10年前のスタッフ達や、彼らを支えてきた多くの人達のことを思い浮かべています。人は成長し、変化もし、若者は大人になり、そしていずれは山さんのように老いていくでしょう。でも、“創業の理念”が人々の心に残り受け継がれていけば、良いものはさらに良くなり、いつか美しく結実し人々に恵みを与えてくれるものと、山さんは信じています。そしてこの支援センターや、他の様々な先駆者たちのしるした一歩一歩が、きっと社会を変える力の源になっていくのだろうと思っています。


2009年12月3日(水) 放送大学の授業から

 情報誌のライターをしている、山さんこと山内です。山さんは放送大学の学生をしているのですが、先日「広報と危機管理」という面接授業に行きました。ある大手電気メーカーの広報を長年担当して来られ、その時の経験をもとに、現在は東海大学教授として若い人たちを教えておられる、小野豊和先生のお話でした。
 広報の仕事をしていて、良い仕事が出来るための条件として、自分が会社を本当に愛していること、がまずあげられる。しかし企業理念が正しくしっかりしていない会社でないと、それは難しいと言われました。小野先生からは、何か疑問に感じることに出あったら自分のできる方法で間違いにぶつかっていくくらいの気概を持って仕事をしてこられたことが伝わってきました。
 そして、小野先生がかつていらした会社で最も誇れることとして、障害をもった人たちを積極的に雇用し、人として誇りを持って共に働けるように心を砕くような会社であることを語られました。“もの”を作る前に“人”をつくる!ということが社是だということでした。
 ある特例子会社での話です。親会社の部品を作って納めているのだけれど、製造ラインは親会社で使っていたものをそのままお古で持って来ました。作業の能率が悪いので、やっぱり障害者は・・・、という見方がありました。そこで、その会社の責任者が車イスに対応する、低い位置で作業できるようなラインを新たに作ったら、とても能率が上がったとのことでした。どこかで問題が発生すると信号機のようなランプが知らせるような仕組みがあるのですが、その信号にすぐ反応して、車イスで走っていけるように考えて空間を設計し直しました。実際にそのかたちでやり始めると、問題が発生した所に行くのに、時によっては車イスの人の方が速くなることもあったとのことです。
また、責任者は働く人たちに言いました。「ベルトコンベアーの、あなたの前の空間はあなたの会社。その社長になって、あなたが責任を持って仕事を完成させ、次の会社に送るつもりでやって下さい」と。こんなステキな励まし方があったのですね。
 山さんには、小学校の時に一緒のクラスの友だちで、中学校で特別学級といって、主に知的に障害があって勉強についていくのが大変な子供たちが通うクラスに入るため、学区の違う中学に行った女の子がいました。数年後にその子にばったり出会ったら、働いているとのことでした。「雇ってくれる会社、あったんや。手先もかなりゆっくりやったし、どうやってんのやろ」と、10代後半の山さんが感じた“?”マークの答えが40年後の今、明らかになりました。その子は小野先生のいらした会社の社員になったのです。
 ゆっくりしていたあの子たちが、ちゃんと働けて幸せに暮らしていけるとすれば、その社会は豊かであるに違いないと、しみじみ思いました。


2009年11月25日(水) 発達障害研究最前線

 情報誌のライターをしている山内です。先日、日本心理学会の公開シンポジウムに参加しました。「赤ちゃんの謎に迫る」というテーマで、発達神経学・ロボテクス・脳科学・認知発達心理学のそれぞれの分野からの研究者が、最先端の研究について発表してくださいました。それぞれの分野から人間の発達を考え、そこから発達障害について論議されました。
 自閉症やアスペルガー症候群などの発達障害については、以前は、生育環境とか親の接し方に問題があり、情緒障害のような感じでとらえられていました。そのため、本人も家族も、障害そのものより二次的な「世間の目」に傷つくことが多かったと思います。最近は、「高次脳機能障害」であることが一般的にも理解されてきました。
 今回示されたのは、胎児期での問題です。卵子と精子が受精すると、その1個の受精卵が分裂を繰り返し、さまざまな器官を作っていきます。脳もどんどん細胞の数を増やし、最終的には脳では約140億個の細胞ができます。実際にはもっと多くの細胞ができるのですが、できたあと何らかの理由で不必要な細胞がなくなって、大体140億個の細胞に落ち着くのだそうです。これを、植木で多すぎる枝を切り落とす作業になぞらえ「刈り込み」と言っています。どうやら発達障害では、胎児期の「刈り込み」に問題があるらしく、それがうまくいっていないのが原因に考えられると言うことでした。
 情緒の面からだけ発達障害をみていた今までのやり方でよいのか? たとえば「人に対して興味がない」とか「感情の表出や表情が乏しい」などという、判定のためのチェック表項目ごとにチェックしてきた結果、過剰診断をしてきたのではないか。つまり「ちょっと変わっている子や、個性がすごく強くて普通っぽくない子なども、発達障害に入れられてきたのではないか」という問題が指摘されていました。
 また同時に、情緒の方から見るのではなく、脳性まひと同じように脳の働きの問題からおこる「運動の異常」に細かく注意を向けていくことで、発達障害をより早期に発見できるのではないかと言う発言もありました。
 今、何らかの発達障害をもつと言われる子どもは、全体の10パーセントにのぼるそうです。特別支援教育が始まりましたが、現場で対応する先生方はとても大変です。また、障害をもつ子どもたちにとっても、正しい認識と理解をもって受け入れられるインテグレーションでないと、かえって傷ついたり十分な発達を期待できないこともあります。障害をもつ子どもにとっても、そうでない子どもにとっても、よい教育の場を提供できるために、みんなで考えていきたいですね。
 まとまらないけれど、学んできたことを少しでもお知らせしたくて書きました。


2009年11月10日(火) 生きている命

 情報誌のライターをしている山内です。
 11月5日に朝日カルチャーセンターの「感じる“身体”は発信する」という講座に行きました。講師は当事者であり日本ALS協会前会長、橋本みさおさんと、ALSになったお母様を介護され、現在はALS患者の介助をするシステムを作り活躍中の川口有美子さんでした。
 私はALS(筋委縮性側索硬化症)の当事者にお逢いしたのは初めてでしたが、発症してから20年以上経った橋本さんは、ほとんど体のどこも動かず、人工呼吸器を装着していて、それでも生きて精力的に活動しています。コミュニケーションは、介助者が橋本さんの本当にわずかに震える唇から母音を読み取り、子音が何かを介助者が「ア・カ・サ・タ・ナ・・・」と言っていく中から、橋本さんがほんのわずかなウィインクで示して、その2つの情報から一つの音を決める、そのように一音一音を決めていく方法です。本当に気の遠くなるような仕事の中から紡ぎだされる言葉は、意外にもウィットにあふれ、反骨精神にあふれ、そして優しい、珠玉の言葉たちでした。
 「人口呼吸器を外せば簡単に死ねます」。海外で尊厳死を認める方向が強くなって来ているのに対し、お母さんをみとられた川口さんは言われました。長い間“究極の身体介護”を経験してなお「私なんか、まあ、だらだらと何でもいいから生きていてほしいと思うほうだったし、第一、こうやって意思があって生きている人の温かさを奪うようなことはできないと思っています。家族がいて、でも家族だけに介護を背負わせるのではないような体制を確立していかなければいけないと思っています」と。
 今、日本には1000人くらいのALS患者がおり、そのほぼ 2分の1が在宅、残り2分の1が入院の生活をしていて、東京には100人くらいの方が暮らしているそうです。
 最後の時間を、参加者(主にALS患者の介助者と福祉や介護のことを勉強中の若い人たち)からの意見や質問に答える時間にして下さいました。
 私は「ALSに特に関係ないところからきているが、橋本さんと川口さんがごく普通の人たちに対して、今一番言いたいことは何か」とお聞きしました。橋本さんは「表情をよく観察してもらえば最低限のことは伝わります」と、一つひとつの音を介助者と作りながら答えてくれました。介助者の方たちとの応答では、「コミュニケーションがなかなか通じないとき、介助者のほうから、『もういや』と投げないようにしたいと思っている」というコメントがありました。それに対して橋本さんは「伝えたいことは10倍もあるんです」「空気を読むことも大切。こっちも疲れるから、時にはあきらめてほしいときもある」というようなことを言われました。
 最後に川口さんから「ヘルパーさんには“センス”が大事!読み取るときもルールに固執せず、煮つまっちゃった時はパッとやり方を変えてみたりするとか、向き合うばっかりが能じゃない」というような内容のアドバイスもありました。


2009年11月6日(木) 命のこと

情報誌のライターをしている山内です。沖縄便りに続けます。
 NHK趣味の園芸の先生、柳生真吾さんは、玉川大学農学部の出身です。先日(10月18日)、町田市民ホールで「ステキな学びの森づくり」というお話をしてくださいました。柳生さんのお父さんである俳優の柳生博さんは、家族とともに八ヶ岳の麓で20年以上も“美しい森”作りをしてきました。その頃の思い出の中から話されたことです。
 真吾さんは幼い時、少しの間おじいちゃんおばあちゃんのところに預けられたことがあるそうです。おじいちゃんもおばあちゃんも、ゆっくりと真吾さんの話を聞きながら、一緒に何でもしてくれました。
 あるとき、真吾さんはザリガニ採りに夢中になって、気がついたらバケツ4杯もとっていて、それを全部家にもって帰りました。「全部飼って!」とお願いしたら、仕方なくお風呂の浴槽にバケツ4杯分のザリガニを入れてくれたそうです。ある日遊びから帰ってザリガニさんを見に行ったら、なんだか寒そうに見えました。真吾さんは、おばあちゃんがお風呂に入れてくれると、温まって気持がよくなるのを思い出したんですって。それでおばあちゃんに、「ザリガニさんを温めてあげたいの。ガチャして」と頼みました。その頃のお風呂は、浴槽の横に釜がついていて、ガチャガチャとハンドルを回すと点火するやつだったのです。
 おばあちゃんは「ザリガニさんはあんまりお風呂好きじゃないと思うよ」と言いました。でも真吾さんが何度も「おばあちゃんガチャして」と頼むので、おばあちゃんは「そんなに頼むんならガチャするけど、ザリガニさん辛いことになると思うよ」と言いながらガチャしてくれたそうです。
 しばらくすると・・・。皆さんの想像されるような、すさまじい惨状になりました。おばあちゃんは「あ〜ぁ。ザリガニさん赤くなっちゃったねぇ」と言いました。真吾さんはまだ子供だったけれど“生きてるのが死んじゃった”ということがはっきりわかりました。いや〜なにおいとともに記憶に刻みつけられているそうです。「そういう経験を通して、命のことを学んできたように思います」と話してくれました。
 「そんなことしたら死んじゃうよ」とか「どうせ死んじゃうから返しておいで」と言うのではなく、真吾さん自身に考えさせてくれたおばあちゃんはすごいなと思います。私たちの日常を振り返ってみると、自分はいいつもりでやっていることが結果的に相手を傷つけてしまったり、時には真吾さんのザリガニさんのように、その命を奪ってしまうようなこともあるのではないでしょうか。
 今、子ども、いや大人にとっても、バーチャルな世界が当たり前のようになってしまっています。そんな世の中だからこそ、自然にむきあったり、命を育んだり、命の行方を見守るような機会を、積極的に、感謝の心をもってとらえていく必要があるのではないでしょうか。


2009年10月28日(水) 沖縄だより

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。
 10月の初めに夫と二人で沖縄に行ってきました。情報誌に「夏子の沖縄だより」を連載している伊是名夏子さんに、どうしても沖縄で会いたくて行ってきました。そして夏子さんの彼も来てくれて、ダブルデートすることが出来ました。
 自分の子供と同じ世代の若い人たちに“ダブルデート”を申し込む厚かましさに乾杯!
 夏子さんは8月の講演会の中で、「障害があるとかないとか関係なく、助けることができるときに助けてあげ、助けてほしい時に助けてと言えるのが大事です」と語っていました。それで、と言うわけでもないけど、今度のデートは、とにかく沖縄のことを教えてもらうのが第一の目的でした。沖縄自慢のおいしいものを一緒に食べて、夏子さんが知ってほしい沖縄のことをいろいろと教えてほしいと、事前にメールでお願いしてありました。それで、ひたすら沖縄ガイドをお願いしました。
 夏子さんたちは、沖縄の戦争のことを語ってくれる人がまだいるうちに直接お話を聞いてほしいと言いました。そのためには「ひめゆりの塔資料館」に行ってほしい。まだ今なら語り部の人がいて話をしてくれる。それから平和祈念公園に行って、そのあと、道の駅嘉手納に行くといい。沖縄で唯一、アメリカ軍を見渡せる場所だから。そう教えてくれました。
 実は山さんもそのようにしたかったので、具体的な道筋を示してくれてとても嬉しかったです。山さんたちが学生の頃は“沖縄返還”と“ベトナム戦争反対”の大合唱で授業どころではありませんでした。その後、沖縄が返還され、平和祈念公園ができ、平和の礎ができました。そのときに感動しながら見たテレビ映像を今も覚えています。
 そして、もちろん沖縄旅行の目的の一つ“ジンベイザメ”にも会ってきました。お腹には海ブドウ、もずくのてんぷら、アグー豚などなど。そして何よりも泡盛!
 お土産に、沖縄の素晴らしさを写した版画と沖縄のことわざが一緒に入っている豆本を買ってきました。

十本(とっー)(いーび)同丈(いぬたき)()ぇーらん」
(訳)「十本の指の高さが同じでないように、人それぞれの個性がある」
(ぬち)どぅ(たから)
(訳)「命は宝であり、最も貴いものである。」


2009年10月14日(水) 国際福祉機器展の感想

 ボランティアの小西です。先日、西村さんと行った「国際福祉機器展」のことで私も一言書きたいと思います。
 会場が広くて参加企業も多いため、全部を見て回ることはできませんでしたが、それでもたくさんの人と出会い、アイデアあふれる製品を見て、触って、試すことができました。どの企業の担当者も自分たちの製品と技術に自信と誇りをもち、熱く語りかけてくださる姿はとても印象的でした。
 “耳が遠くなった父親にこの補聴器はどうかな。”
 “タイヤが自在に動くこのスーツケースは母親に便利かしら。”
 “こんなベッドがあれば介護も楽チンそう。”
 あれこれと考えながら歩いていると、時の経つのも忘れるほどでした。テクノロジーは、すべての人が一生涯、快適に人間として豊かに生きていけるためにこそ存在しているのだ、ということを改めて実感しました。人の可能性と優しさに触れ、「日本の未来は明るい!!」と温かい気持ちになることができました。


2009年10月14日(水) 12年目の国際福祉機器展 PartU

 介助者の木村です。
 PartTの中で「説明員の中には、特徴は説明するものの、その対象層や使い方を聞くと答えられない人がいます」と書きました。その一方で、メーカー説明員の中には、介護支援専門員といった相談職や介護福祉士といった介護職以上に研究熱心な人もいます。
 福祉用具、住宅改修、事業者運用ソフト等を開発するメーカーの開発技術職やその販売に携わる営業職は、現場のことを理解するために高齢者・障害者の特性や生活状況、関連制度についてよく勉強するものと聞きます。
 12年間の感想の追加としては、商品機能の充実化は全体的に進んでいるものの、それを説明する人の能力差が開いているように感じるということです。つまり、自分に合う商品を選ぶことと、その活用方法を説明してもらう人を選ぶことも重要なポイントになると思うわけです。
 私が以前に勤めたメーカーは、会社の方針として「買ってください」は禁句で、特徴と活用方法を全ての営業職が同じレベルで説明できること、研修講師が務まることを目指し、社内研修を徹底していました。メーカー各社のホームページを見ると、全体的に営業職の説明能力が高い会社は、自ら行う研修案内をしっかりと掲載している場合が多いように思います。よかったら、商品選び、会社選びの参考のひとつにしてみて下さい。
 そしてどんなに機能性が高い商品も、間違った使い方をすると凶器になると指摘する人もいます。新しい商品を導入する際には、福祉用具専門相談員等から安全な活用方法をしっかりと説明してもらい、取扱説明書を今一度ご確認下さい。

<参考> 安全な福祉用具の活用に関するホームページ
・医療・介護ベッド安全普及協議会
http://www.v-net.co.jp/bed-anzen/n_bed-anzen_index.html
・リフト関連企業連絡会
http://www.jaspa.gr.jp/lift_consortium/index.html
・日本リハビリテーション工学協会 車椅子SIG
http://www.wheelchair-sig.jp/


2009年10月7日(水) 国際福祉機器展に行ってきました

 こんにちは。久しぶりにスタッフの西村です。東京はだいぶ涼しくなってきました。みなさまお元気ですか?
 さて、9月29日(火)〜10月1日(木)の3日間、東京ビッグサイトで「第36回国際福祉機器展 H.C.R.2009」が開催されました。私は最終日に初めて会場に行きました。本当にたくさんの企業が福祉機器やユニバーサルデザインの商品を紹介していました。3日間で10万人を超える来場者。さっと歩いて一巡りするだけでも2時間ぐらいはかかりそうな広さの会場は人や物でごった返していました。
 そんな中で私たちは「障害学生が使えそうなもの」「障害の有無にかかわらず、便利に使えそうなもの」を中心に見て周りました。四肢に障害のある人がパソコンをスティック等で操作できるようにした機器や本のページをめくる機器、視覚障害者に振動の違いで位置を知らせる誘導装置や拡大読書器、点字ディスプレイ…。みんなが使えそうなものでは、お皿やお椀の底が工夫されていて中のおかずが取りやすくなっている食器、持ちやすいお箸やスプーン、自由自在に方向が変えられて、疲れたときには体を支えたり椅子代わりに座ったりできるキャリーバッグ。簡単な絵と水性マジックの書き消しでコミュニケーションを助ける絵本など。
 担当者の話を聞きながら、利用者の声に耳を傾け、試行錯誤と改良を重ねながら製品開発がなされている様子が伝わってきました。私と同行してくれたボランティアの小西さんは、「日本の技術も捨てたもんじゃないね。こういう機器があることを知ると、何か起こってもきっと大丈夫」という気持ちになってくる、としきりに話していたのが印象的でした。これまでの私は福祉機器を見るとき「これは自分に使えるか?」「障害者は使いやすいか?」という視点しか持っていなかったので、この指摘は新たな発見でした。開発者の創意工夫と努力があってこそ生まれるものがたくさんあるんですね。みんなで声を出し合って作っていくものがたくさんあることに気づいた一日でした。


2009年10月7日(水) 12年目の国際福祉機器展 PartT

 介助者の木村です。私も2日目に国際福祉機器展の見学に行ってきました。
 福祉用具専門相談員をしていた頃は、各種商品の情報収集のために、なるべく多くのブースを見学しました。メーカー勤務をしていた頃は、出展側の立場となり、自社製品の特徴や活用方法をなるべく多くの見学者に説明しました。そして最近は、各社ブースにて製品の機能や品質の向上について意見交換するようになってきました。
 このように色々な立場で関わってくると気になることがあります。見学者の中には、製品を目視したり、ちょっと触ってみるだけで評価してしまう人がいますが、実際に使ってみないとその製品の良し悪しは分かりませんよね。説明員の中には、特徴は説明するものの、その対象層や使い方を聞くと答えられない人がいます。
 12年間の感想としては、この時期が「商品発表会」になっていて何だか慌ただしく、製品開発側とそれを利用するエンドユーザーのやりとりがほとんど見られないのが残念です。開催要項を確認すると、「高齢者・障害者の自立と介護を支援する福祉機器の購入・利用を検討される方々が実際に見て触って情報を得ることを目的とする展示会です。高齢者・障害者の方々が安心してゆっくりと福祉機器を見学できるよう、ご来場される皆様も一緒に支えてください。」とあります。
 今後とも関係者全体の工夫が必要ですね。


2009年10月2日(金) 名前は“私”の存在そのもの

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。
 映画『精神』を見て思い出すことがありました。手話サークルにいたころ、ある精神病院のデイケアセンターで「手話を学びながらコミュニケーションしよう」というような活動をしていたことがあります。病院に通っている人たちが社会に復帰するお手伝いをするための活動です。
 山さんはそこで月に2回、手話を教えていました。教えるというより、手話ネタでコミュニケーションする会とでもいいましょうか。参加する方は、毎週熱心に来ている人もいれば、入れ替わりの人もいる。その状態も様々でしたから、どのようにしたらうまく心を通わせられるか、楽しんでもらえるか心配でした。
 5年くらい続けていましたが、毎回あいさつの手話から始めます。左右の人差し指が向かい合って、頭をペコン!というところから始めます。「おはようございます。私の名前は○○です。よろしくお願いします」というのを全員で順番にやっていきます。先生役の山さんは、みんなの名前を忘れないようにちょこっと書きとめたりしていました。そして、必ずその人の名前を呼んでから会話をするようにしていました。ここにきている人たちの中には、自分のことを消しゴムで消してしまいたくなるような、苦しい気持ちでいる人もいるかもしれません。そんな気持ちの人が、自分の名前の手話を学び、新しい“自分のサイン”をゲットしてくれたらいいな、と思っていました。
 ある日のテーマは「趣味」。全員に趣味を言ってもらい、それをボードに書いていって、いろいろと話をしあいながら、みんなで手話の勉強をするつもりでした。
 一人の女性の方で、状態があまりすぐれなくて私の気になっていた方がいました。案の定「私、趣味なんて・・・」。でも、間を少しあけて「民謡」と言われました。「民謡って?」と聞くと、「歌ったり踊ったり・・・そうだ、私、三味線もしたし、太鼓も叩いてたんだ」。また少し間があって「ずっと忘れていた。私なんでもできたんだ」
 そんなことが何回かあるうちに、その方の表情がどんどん変わっていくのがわかり、びっくりし、また感動もしました。そのことがきっかけとなり、その方は急速にかわっていかれ、間もなく「もう大丈夫です。ありがとう」と言ってセンターを卒業していかれました。
 みんながみんなそんな風であるわけではないけれど、私たちに、またデイケアセンターの職員の方たちに、仲間たちに、希望の灯をともして、その方は去って行かれました。自分の名前を大切に、今も生活をしておられることと思います。


2009年10月2日(金) 映画『精神』

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。
 夏の初め、渋谷のマイナーな映画館で『精神』という映画を見ました。想田和弘という監督によるドキュメンタリー映画で、世界の映画祭で多くの賞を受けたこともあり、マスコミ、また精神を病む当事者やその家族、NPO関係の人たちがたくさん見に来ていました。
 映画は岡山県のある精神病院の日常を淡々と映していきます。患者さんたちの素顔、老医師との診察室の中での様子、厳しい病院の経済の中で苦しみながら仕事をする職員たちの姿が、普通の古い家のような病院の中、また庭での会話などの映像として、あえてモザイクを一切排除して、淡々と映しだされていきます。
 私はあくまでも相手に添い、患者さんの一人一人を尊重している医師やスタッフの姿に心を打たれました。看護婦さんの一人は、「先生は、『年金をもらっているから趣味みたいにやっているんだ』と言って、給料を月10万円くらいしか取ってないのよ。私らより少ないんだから」と話していました。
 診察を受ける一人の若い男の人が、「手帳をもらったほうがいいと周りから言われるんだけど、先生どう思われますか」と聞いていました。いつものように言葉少ない語りの中で老医師は言います。「あなたが手帳をもらって、手帳をもらう前の自分と手帳をもらった後の自分が同じなんだと思えるなら、もらったらいい。あなたがいつも同じあなたなんだと思えるなら。でも手帳をもらうことで、自分の中に自分を差別するような、自分をいやだと思うような思いが出るようなら、やめたらいいんじゃないかな」と言われました。
 差別というものの本質に向き合うような、とても深いものを問いかける老医師の声が、いつまでも耳に残っています。静かでしたが、本当に強い言葉でした。


2009年9月10日(木) 出会いについて考える 〜解答を求めて〜

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。6月にセンターのスタッフが結婚をされ、新しい人生をスタートされました。私たちにとっても本当にうれしいことです。
 山さんは“出会い”について改めて考えてみました。そして15年近く前、サークルで手話を教えに行った小学校で一人の子供から出た質問に対する答え(模範解答と言えるかどうかわからないけれど)をここに書きたいと思います。
 ある寒い冬の朝、授業が始まる前の体育館でのことです。手話サークルのメンバーが聴覚障害の人達と一緒に手話のお話をしながら、聴覚障害のことを子供たちに知ってもらう機会がありました。
 終わりが近くなったころ、一人の女の子が手をあげてこう言いました。「耳の聞こえない人は耳の聞こえない人としか結婚できなくてかわいそう」と。想定外のことだったからか、担当していた人は「そうなんだよね。それが問題なんだよね」と言って終わらせてしまいました。そのことがずっと心に引っかかっていました。私ならどう答えただろう。いつもその答えを考えていました。今、私は15年前の担当者になって答えてみたいと思います。
 たいていの日本人は日本人と結婚しているよね。そのことを「日本人としか結婚できなくてかわいそう」って言うかな。そうは言わないよね。また日本人でも外国の人と結婚している人もいるよね。
 そしたら、外国人と結婚している日本人が少ないのはどうしてだと思う?たぶんそれは言葉が通じなくてお話ができないからだと思うの。ステキな人だなと思っても、お話ができないからあきらめちゃうのね。でも、どうしてもお話したい、お友達になりたいと思ったらどうする?まずジェスチャーとかでアタック?それから、やっぱりお互いの言葉を覚えたいと思うよね。
 聞こえない人は、耳で聞く言葉ではなく、手や表情を使って目で見てわかる言葉でお話することはわかったでしょう。だから聞こえない人とお話しようと思ったら、手でお話しする手話を覚えればいいんだよ。聞こえない人は聞こえないのだから、がんばっても努力しても、声で話したことは伝わりにくいの。だから、聞こえる私たちが手話を覚えてお話をしたらどうかしら。
 そうやって、聞こえる人と聞こえない人がいっぱいお話できたら、お友達ももっと増えるし、“ロマンス”が生まれることもあるんじゃないかな。その人の“素晴らしさ”が、聞こえないということでわからないのはとてももったいないと思います。お話もできないなんて残念だと思います。今“手話”のことを知った皆さんが、手話で聞こえない人達とお話できて、いろいろな可能性をもっともっとふくらませてくれると嬉しいなと思います。 


2009年9月2日(水) 助けあうってどういうこと?

 情報誌のライターをしている山さんこと山内です。
 8月29日に、情報誌で「夏子の沖縄だより」を連載している伊是名夏子さんが大宮に講演に来られました。「沖縄発“たんぽぽ宅急便”が広げた笑顔の絆」というイベントに招かれての講演で「共に生きる〜助け合うってどういうこと〜」というテーマでした。
 「“たんぽぽ宅急便”は沖縄在住の筋ジストロフィーの青年とニーファイユー作業所との、インターネットを通じた交流から始まりました。2人は青年の創作する切り絵を、障害をもちながら頑張っている子供たちや友人にプレゼントし、名前をつけてもらって一緒に作品を完成させる、そんな取り組みを思いつきます」(イベントチラシより)。切り絵と名前をつけてくれたみんなの写真が、ギャラリーいっぱいに展示されていました。
 伊是名さんは「骨形成不全症」による障害をもちながら、電動車いすに乗って、“障害者をはじめとする、あらゆるマイノリティーへのサポートを模索中“という、かわいいお嬢さんです(ご自分で言うのだからまちがいなし!)。
 講演では自分の経験(障害のこと、学校のこと、デンマークをはじめとする外国で見てきたことなど)と、それをもとにした自分の考えや希望などをユーモアたっぷりに話され、人と人とが当たり前に、困っている時、また困っているのを見た時に助け合える、そういう社会になってほしい、と熱っぽく、そして最後まで笑顔とともに語られました。
 伊是名さんは講演のテーマを、講演が始まる前にはっきりと行動で示してくれました。そのことがとても嬉しかったのでここで伝えたいと思います。
 情報誌を読んで“夏子ファン”になった人がたくさんいるのを知っている山さんは、講演をテープにとって文章にし、夏子ファンの皆さんに届けたいと思い、気合い十分で29日を待っていました。前日の夜、久しぶりだし練習しとくか、と思って録音を始めたら、ガチャッという不吉な音。まさかの故障です。
 さあ大変。翌朝、早々に友達にテープレコーダーを借りに行き、初めて行く大宮の、そこからさらにバスに乗っていく会場をめざし、ドキドキしながら出かけました。
 講演会場のプラザノースに着き、多目的室の入口のドアに隠れて録音準備をしようとしたら、→マークが見えない。鞄の奥の老眼鏡をごそごそ探していた時、スーっと電動車いすが近づいて「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた伊是名さん。テープレコーダーを手にとって試し録音をしてくれました。そして「私の前に置いて録音したほうがいいよね。とっておきますね」と言って、当り前のようにテープレコーダーを持って行かれました。
 そのやり取りを伝えるだけでも、講演の内容を伝えるのに十分なものだと思います。人それぞれ、できることとできないことは違う。だから助け合いが必要であり、助け合うことができるんですね。
 ギャラリーで買った写真集の、障害をもったこどもたちの、底抜けに明るい笑顔を見ながら、最近ずっと心にかかっていたあれこれをすっかり忘れていた、あの笑顔たちに助けられている山さんでした。


2009年8月19日(水) 学校公開

 山内です。6月17日に筑波大学付属視覚特別支援学校(盲学校)で学校公開があることを、この間、放送大学の授業を担当して下さった浜田先生が教えて下さったので行ってきました。毎年この時期の学校公開には、一般のボランティアさん達も見学できます。私は、視覚障害の中学生・高校生が実際に科学実験する様子を見て納得。生徒それぞれの条件や性質をよく知って、それに合った指導方法や言葉かけを工夫することで、“同じではないけれど、同じことを体験し、理解することができる”ということにとても勇気をもらいました。
 ここではあるボランティアの取り組みを紹介したいと思います。「彫刻にふれる。彫刻家とつくる」というテーマで平成18年から行われている、この学校の小学部と国画会彫刻部との連携活動があります。人的ネットワークを活かし、「鑑賞」と「表現」の二つの領域を織り交ぜながら、彫刻鑑賞会、ワークショップというスタイルで 年3回実施しています。
 昨年の第一回目は、@都美術館に出品された大きな立体作品を彫刻家とペアを組んでの彫刻鑑賞会、A作品13点を校内一室に搬入展示した彫刻小品鑑賞会、B作品に触れる→彫刻家と共に作ることを通し彫刻の理解を深めるワークショップ、という方法で進められました。
 Bでは彫刻に使われる用具を「いろいろな道具で作ってみよう」というテーマの通り、実際に彫刻家と一緒に使ってその使い方を学びました。電動ドリル、金ノコ、鉄ヤスリ、紙ヤスリなど、本格的な道具に挑戦します。
 このワークショップに初めて参加した子供は“作る”ということに精いっぱい。自分たちにも彫刻が出来るんだ!という体験をしました。同時に“素材に親しむ”ことが出来ました。2回目の参加という5年生たちは、個々の明確なイメージをもとに大胆な活動を展開していました。形をくりぬいたり、金ノコで石を切り落としたり・・・。まわる作品作りに挑戦した子もいました。
 自分が作った作品に対する感想。「カラス」を作った子は「抱くと気持ち良かった」。「水太鼓」という石の音が出る作品を作った子もいました。その子は「鉄分を含んだ石を使ったので鉄の匂いがした」と言っていたそうです。視覚障害ならではの鋭い感受性かも知れないなと感心しました。
 廊下の掲示物を読むのに熱中していた私は、誰かがぶつかって「すみません」と言った声にハッとしました。盲学校では廊下の壁を手で触りながら歩いている人がいることを忘れていました。とても恥ずかしいと思いました。


2009年7月29日(水) コミュニティバスの開通

 スタッフの殿岡です。私の家は町田駅から電動車いすで25分ほど行ったところにありますが、これまでバスの便が悪く、駅のそばにある支援センターに通勤するのに、雨の日などは一苦労でした。
 18日の土曜日、構想から10年にして、ようやくコミュニティバスが走り始めました。その日、私は休日で偶然にも家族と駅前に出かけていました。そこで、バス開通の記念式典に遭遇。待ちに待ったバスの開通に思わず聞き入ってしまいました。
 バスを走らせるために地域をまとめてきた運行協議会の方、市長をはじめ行政関係の方、バス事業者の方などがあいさつしました。構想がようやく実現したこと、地域の足が確保されたこと、市内の他地域ではコミュニティバス運行を待っている人がいることなどが話されました。
 車両は、液化天然ガスで走る小型ノンステップバスです。小さな路地をたくさん抜け、ゆっくり走るミニバス。黄色の車体がかわいらしさを演出します。
 実際に乗車してみました。車いすの場合、バスの中扉から歩道にスロープを渡して乗ります。歩道が低いためにスロープが急になってしまったり、バス停なのに歩道に車止めのチェーンがかかっていたりと様々なことがありました。初日ということもあり、運転手さんも私も、歓迎ムードはどこかに行ってしまい「現実の乗車は必死」でした。
 その後、家に帰ってきてひと休み、今日はいろいろなことがあったなあと、のんびりしていると「体が軽い」。疲れがいつもより少ないのに気づき、ああ電動車いすで駅から走るのは、やっぱり疲れるんだなあと、妙に納得してしまいました。
 普段、何気なくしていることのきつさって、やっぱり感じるのは難しいですね。でも疲れる自分はいたわらないとね。今後はバス通勤かな?


2009年7月15日(水) 

はじめまして。ボランティアの小西です。ボランティア日記を初めて書かせていただきます。
 偶然見たホームページに魅かれてセンターに通い始めたのは一年半前。ここに来て驚いたことの一つは、ボランティアさんたちは長くセンターに関わっている方が多く、また皆様つわものぞろいであることでした。手話通訳のスペシャリストあり、パソコン、会計のプロあり。その中で、何もスペシャルなことのない貴重な(?)存在の私は、せっせと飲み会にだけは参加しています。
 先日も、黒澤さん、西村さんの結婚お祝い会は本当に盛り上がりました。普段はセンターに行く曜日が違っているため、なかなかボランティア同士で会う機会がないのですが、この日は初めて会う人や久しぶりの人との交流ができたひと時でした。
 また、ボランティアの高橋さん(お菓子作りのスペシャリスト)のケーキは、ピンクの生クリーム、側面にはクッキーをはりつけ、中央には薔薇の形のお菓子を乗せたものでした。新婚の二人にぴったりの、かわいらしく、そして抜群に美味しいケーキでした。
 人の絆にほんわりとした温かさを感じながら、これからもこの素敵な仲間たちとセンターのお手伝いをしていきたい!と思った私です。今後もよろしくお願いいたします。


2009年7月8日(水) 西村さん黒澤さんご結婚のお祝い

ご無沙汰しております。スタッフの殿岡です。
 7月3日の夜、町田駅近くのイタリアレストランで、スタッフの西村伸子さんと、もとボランティアの黒澤修一さんの結婚をお祝いして、ささやかなパーティーを行いました。センター設立時からのスタッフで、活動の中心を担う西村さんと、3年半前よりセンターで活動をはじめ、このボランティア日記を作った黒澤さん。センターにとってかけがえのないふたりが、めでたく結婚をしたこと。そして、ふたりをスタッフ・ボランティア・介助者・そして我が家の子どもたち、みんなでお祝いすることができたことを、大変うれしく思います。
 ボランティアの高橋さんがこの日のために焼き上げたウエディングケーキを囲み、センターを取り巻く総勢17名で、パーティーは和やかに行われました。乾杯にはじまり、ケーキ入刀ではみんなで盛り上がりました。新婚ふたりの嬉しそうな笑顔が印象的でした。
 いつものコンビで盛り上がる人もいれば、普段はなかなか顔を合わせることの少ないボランティアさん同士も、和気あいあいと話が進みます。ところで私は、今回慣れない幹事もどきをしまして、不手際を…、みなさんに助けられておりました。あっという間に心地よい時間が過ぎ、プレゼントの贈呈でパーティーは幕を閉じます。
 小さなセンターでの活動は人と人との絆を結び、人と人との結びつきは新たな活動を生み出します。パーティーでは、その原動力が垣間見えました。
 これを書いている七夕の夜、町田の空は少し雲が増えてきました。我が家の子どもたちは、短冊に願い事を書きました。
 支援センターは、さまざまなひとの願いをかなえるため活動しています。今年も、一人ひとりの願いがかないますように。


2009年7月1日(水) 北海道での旅行を満喫

お久しぶりです。元ボランティアの黒澤です。毎日蒸し暑い日々が続いていますが、皆さん頑張っていますか?久しぶりに“ボランティア日記”に投稿できるので、うれしいです。
 さてさて、私事ではありますが、6月6日(土)に、43歳にして少し恥ずかしいですが結婚しました。そこで新婚旅行で北海道に行き、感じたことを書きたいと思います。
 女満別空港からレンタカーで知床半島・野付半島・屈斜路湖・摩周湖・阿寒湖・釧路湿原、そして釧路空港から帰京する、全行程5泊6日の長旅でしたが、北海道の雄大な自然に感動しました。普通に車で走っているだけで鹿やキツネに出会えたり、知床でのクルーザー船からはイルカ、陸にはクマをも見ることができ、本当に感動しました。
 そして、何よりも北海道の人々は優しいばかりではなく、心も北海道なみに豊かで、行く先々で親切に接していただきました。人間の心の温もりをあらためて感じ、自分自身も普段の生活ではありえないほどやさしい気持ちになれた時でもありました。
 また宿はペンションが中心だったのですが、その中の一つは“ピュアフィールド風曜日”さんに泊まりました。ここの施設は“平成20年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰”で“内閣府特命担当大臣表彰奨励賞”を受賞した施設です。
 足の悪い私にとって一番の悩みは“お風呂”です。今までいろんな旅をしてきましたが、ここはバリアフリーがとても充実しており、浴槽に入るところもスロープ状になっているため、楽に入ることができ、ゆったりとした時間を過ごせました。
 館内は段差もなく、車いすの方でも十分に移動可能なスペースもあり、部屋の中にある設備も充実しているので、障害者・健常者の方でもゆったりとした時間を過ごすことができ、旅の疲れも癒してくれます。またオーナーさんの話によると、障害に合わせた食事を用意してくれることも可能なようです。皆さん北海道に行った時は、北海道の大自然を大いに満喫して、“ピュアフィールド風曜日”さんをたずねてみてください。きっと楽しい思い出になること間違いなしです!
 そんなこんなで、今回はこれくらいにしておきます。長い文章を書いてしまいましたが、“全国障害学生支援センター”を盛り上げるためにも、皆さんの普段の生活での出来事や旅行での体験談などがあったら、メールとかで投稿してみてはいかがですか?
 これから夏に向かって暑くなりますが、頑張って行きましょう!

ピュアフィールド風曜日
http://www.aurens.or.jp/hp/kaze/index.html


2009年6月25日(木) ボランティア:手話では“ともに歩む”

山内です。先日、夜中のテレビでこんなのを見ました。
 院内学級で学ぶ子どもたちを励まそうと、服飾専門学校の学生がボランティアに行きました。子供たちと一緒に、お母さんのためにブローチを作ったり、お人形さんの服を作ったり。子供たちもとても楽しそうでした。そうこうしているうちにボランティア終了の日が近づきます。学生たちは一人ひとりの子供から、「こんな服がほしい」という思いを聞いて、それを作って記念にプレゼントしようと決めました。
 しかし、子供たちの夢の服を具体的に聞いても、それを形にする技術はこれから身につけるのです。「僕にはまだこの型紙がおこせない」と言って涙ぐむ青年がいました。
 型紙は出来たけれど材料がない。それで彼らは、生地を扱っている問屋さんに電話をかけ、事情を話して「端切れを下さい」と協力を仰ぎます。OKしてくれる問屋さんにヒットして、さっそく行ったら、社長は「どの生地でもいいから探して持って行っていいよ」と言ってくれました。夢中で宝探しです。ああでもない、こうでもないと。
 そのとき、ずっと彼らの行動を見守っていた社長が「ちょっと言わせてもらってもいいかな」と言いました。「君たちのしていること、ちょっと違ってない?最初の気持ち。そして自分たちが何をしようとしているかということを思い出してみなさい。君たちは子供たちに笑ってもらいたい。楽しい時間を過ごしてもらいたい。そのために自分たちが習ったことをもとに一緒に何かを作ることで、できることがあるのではないか。そう思って始めたと言っていたよね。今の君たちを見ていると、もっといいもの、素敵なものを作りたい。そのことのほうが強くて、そしてどんどん苦しくなってきているように見える。『こんなものしかなかったけれど、僕たちがんばって作ってみました』そう言えることのほうがずっと素晴らしいと思う。そんな君たちのことをきっと喜んでくれると思う」。社長に厳しく、優しくそう言われて、みんなはまた泣きました。
 そのあと、社長は倉庫から生地を持ってきて、「こんなのはどうかな」と言いながら一緒に生地選びを始めました。社長は学生たちに寄り添って、彼らの思いを形にするためにプロの目でいろいろアドバイスしました。彼らが帰るときに「よかったら使って」と言って、たくさんの端切れをプレゼントしてくれました。
 ボランティア最後の日、学生はそれぞれの作品を自分なりにラッピングして子供たちに渡します。泣いていたのは学生たちでした。
 院内学級の先生がお礼に「みんなを見ていたらこんな詩ができました」と言って詩を読み、プレゼントしてくれました。子どもたちは、学生が帰ってから包みを開けて“夢の服”を着て、みんな笑顔いっぱいでした。
 「今、一番したいことは何?」「学校に行きたい!」


2009年6月17日(水) 実験と地図の思い出

スタッフの西村です。ようやくボラ日記を書く余裕ができました。
 山さんの「放送大学の授業から」を読んで思い出したことがあります。それは、理科の授業や社会科の地図で苦労したこと。私は地域の学校に通いましたが、教科書は皆と同じものを使い、親が拡大コピーしてくれた教科書を併用していました。拡大しても図や絵は白黒で小さくて見えません。カラーの教科書と見比べもしましたが限界があります。理科の実験も目を近づけて見ましたが、よく分からないことがほとんどでした。
 だから、山さんが紹介していたような先生は本当にすばらしいと思います。私の場合、勉強の補足をしてくれたのは主に父です。
 月の満ち欠けや地球の公転・自転が分からないときは、ボールに色を塗り、ライトをあてながら試しました。豆電球で電気の流れを確かめる実験では、家でたくさんの豆電球を並べて、私が理解できるまで試行錯誤しました。花のしくみを知るために、自分で花を分解してみたことも。あげるときりがありませんが、これらの実験を通して、いろんなモノの仕組みがよく分かりました。
 一方、社会科で出てくる地図。これも私には難関。都道府県名を覚えるときは父が大きくマジックで書いてくれたシンプルな白地図を使いました。地理で山脈や川、農作物の場所を示した地図には、自分が区別できるように色を塗ったのを覚えています。
 大学生になってから盲学校を訪問する機会がありました。そこで、触って分かる日本地図を見たときのことは忘れられません。日本の形が手に取るように分かり、山は高く、川はくぼみ、平野は平らになっています。こんなに便利で分かりやすいものがあったなんて!!ものすごい衝撃でした。
 分かりやすい教材や少しの工夫で、勉強は本当に楽しくなるものです。これは障害の有無にかかわらず、どんな子どもにも共通することかもしれませんね。


2009年5月27日(水) 見えているから難儀なことも

情報誌の「山さんシリーズ」のライターをしている山内です。
 ご近所の視覚障害のご夫婦のお話です。最近、隣の土地に車の整備工場ができることになり、今、工事中です。「30年前に裏にビルが建ったとき、震動で家にひびが入って大変だった」と以前に言われたのを知っていたので、「大変ね。うるさいでしょう」と言ったら、思いがけない返事が返ってきました。「いやあ、今は工法も変わってコンクリートパイルの打ち込みもないし、スクリューみたいにギリギリ穴掘ってやってるから平気さ」と。それで私は「でも、うっとうしくない?」と聞いたら、「自分の敷地からは、わりと離してくれてるし、むしろ国道の騒音や南風や土埃が減っていいんだよ」と言われました。
 目の見える晴眼者にとっては、視界を遮る建物が建つのは許せないことです。そうかあ。これはまさに“盲点”であったわい。

 それで思い出しました。前回「視覚障害者のための実験・観察」という放送大学の授業に参加した報告を書きましたが、授業の中でハッとしたことがあります。実験が始まったばかりの頃、先生が受講生たちの不安そうな顔を見て聞かれました。「うまくいくかどうか心配なの?」と。そして、心配だと言う私たちに言われました。「見えない子たちは実験の失敗や結果なんてあんまり心配しないのよ。他にいっぱい心配しなけりゃいけないことがあるから、そんなこと気にかけてなんかいられないのよ」と。
 すると、見えなくてもこうやって科学実験ができることのほうがうんと嬉しくて授業を楽しんでいる姿。視覚障害者が実験をするための工夫をするのが楽しくて仕方ない先生と、先生と一緒に生き生きと勉強している子どもたちの姿。そんな様子が心に浮かびました。
 私は全盲の若い女の方とペアを組んだのですが、支援センターの全盲スタッフと年恰好も近いその人に感じたのは、なんかとてもゆったりとした落ち着き、穏やかな安心感でした。それは何となくセンタースタッフの感じに通じました。積極的だし好奇心も旺盛なんだけど、ちまちましないのね。その感じは全盲という状態で生きる人に備わった性格なのかもしれないと思いました。ある意味、他者に委ねる“能力”みたいなものを身につけておられるのかなと思いました。
 はじめに書いた工事に関するコメントと合わせて考えてみました。
 人はみな同じ条件で生きているわけではないから、自分の感じたことを人も同じように感じているわけではないのだ。人と比べるからややこしくなるだけなんだ。いいこともそうでないこともみんな人それぞれ違うんだ。先生も言っておられたけど、「障害者の数が少ないから“マイノリティー”は苦労するものなんです」と。


2009年5月20日(水) 放送大学の授業から

情報誌のライターをしている山内です。私は放送大学“発達と教育”専攻の学生をしているのですが、5月16日・17日の2日間「視覚障害者のための観察と実験」という面接授業を受けてきました。
 講師は長年、視覚障害の子供たちに理科の指導をしてこられた先生方で、今も筑波大学付属視覚特別支援学校の現場で教えられている浜田志津子先生と、現在は筑波大学で視覚障害教育学の研究と指導をされている鳥山由子先生のお二人でした。
 まず鳥山先生の講義から、「見えないからできないと決めてかかるのではなく、教科書にとらわれないで、見えなくてもできるように工夫をする。そのためには、まず何を学ぶのか、何のために学ぶのかということを理解する必要がある。そして、できる限り本物に接してもらって、それを視覚以外の感覚でとらえることができるようにしていく」というお話がありました。
 学習指導要領では、小学校ではこういうことを学ぶ、中学校ではこれこれを言うようにと書いてあるのですが、どのようにして学ぶのかということは書かれていないのだそうです。教科書は、教科書会社が、たとえば手に入れやすい材料を使って実験や観察をするように書いてあるだけだし、どの教科書を使えとは指定されていないのです。
 だから先生は、アブラナで花の構造を学ぶのではなく、触ってわかりやすいユリとチューリップを使って説明をしているそうです。その時に、植物にとってなぜ花が必要なのか、だから花はどうなっているのか ということをきちんと話して理解してもらってから観察するそうです。目で見る情報はないのだけれど、本物に、確かな目的意識を持って接するということで正しい理解に導くことができるのです。
 素晴らしい講義、素晴らしい実験でした。伝えたいことがいっぱい過ぎるので、またの機会に、情報誌の紙面をお借りして報告したいと思っています。
 最後にこのことを書きます。
 視覚障害者は将来、鍼灸・マッサージという仕事に就かれる人も多いし、人体の骨格標本は学校にどうしてもほしいものです。しかし、その本物を今の時代に求めるのは非常に難しいです。それで、そういう分野のことを教えていた先生が、自分が死んだら標本にして使ってほしい、と言われ、実際にそのようにされたのだそうです。そして全国各地の盲学校で結構あるお話なのだそうです。
 先生は言われました。「障害をもつことは特別なことではないのです。でも障害者は数が少ないので、誰でも同じように勉強できるためには工夫が必要です。私たちはその工夫をするのが楽しくて楽しくて今まで来てしまいました」と。


2009年5月13日(水)

こんにちは。久しぶりにスタッフの西村です。4〜5月は、個人的に多忙な日々を過ごしています。GW中は、ほとんど楽器を吹いてすごしました・・・。
 ということで、この場を借りて、私が所属している横浜市内の吹奏楽団の演奏会の案内をさせてください。
 気軽にお越しいただける演奏会を目指しています。お時間のある方はぜひお越しください。

かもめ吹奏楽団定期演奏会のご案内
日時:2009年5月17日(日)
   午後3時30分開演(開場:午後3時)
会場:磯子公会堂(横浜市磯子区磯子3丁目5−1)
   ……横浜市磯子区役所内にあります
http://www.city.yokohama.jp/me/isogo/gakusyu/shisetsu/koukai-index.html
【交通】JR根岸線「磯子駅」より徒歩5分

指揮:平山 貴史
曲目:ダンス・ムーブメント
   ウエスト・サイド・ストーリー
   ソーラン・ファンク  ……他
   (ダンスづくしで、お届けします!)

☆入場無料☆

未就学児の託児、車椅子席、点字・拡大文字プログラム等もご用意できます。
お申し込み・お問い合わせは、下記連絡先までお願いします。
(親子室もございます。申し込みは不要です)

【電話】090-5786-0948(楽団携帯)
【メールアドレス】kamometo@hotmail.com
【ホームページ】http://www.kamome.to/


2009年5月13日(水) 「勇気と感動に感謝!」

介助者の木村です。山さんのボランティア日記を見て思い出したことがあります。いつも大切なことを思い出させてくれるボランティア歴の長い先輩に感謝です。
 先日、日本アムウェイが運営する、様々な障害に負けずに頑張っているこども達をたたえたり、子ども達をサポートする団体を励ます「One by One こども基金」の表彰式に代表の殿岡さんと一緒に参加してきました。
 その際の選考ポイントとして、「障害を持ちながらも頑張っている人が多い候補者の中でも、その人が頑張っていることで、周囲の人が勇気づけられたり、感動を得たりする等の波及効果が最も高いこと」が説明されていました。
 表彰式で表彰された方々のインタビューやプレゼンテーションを拝見していると、その勇気や感動を味わうことができました。その意味で、選考委員らはスピーチの中で、「おめでとうございます」ではなく「ありがとうございます」と繰り返していました。
 実は、ここセンターの事業のひとつである「障害をもつ学生交流会」でも同じような勇気や感動を味わうことができます。次の交流会が開催されることを楽しみにしています。


〔参考〕 One by One こども基金
http://www.1by1.jp/award/index.html


2009年5月8日(金) オンリーワンを生きる

ちょっとお久しぶりの山内です。最近はセンターに行く機会が少ないので、自己紹介は“情報誌のライター・山さん”の山内です、ということにしますね。
 先日ソプラニスタの岡本知高さんのコンサートに行きました。ソプラニスタとは男性で、発声と音域のすべてが女性のソプラノと同じというもので、岡本さんは日本唯一の「男性ソプラノ歌手」というわけです。ご自身のことを“コントラバスにヴァイオリンの弦が張られている”と表現されています。
 テレビで見て知っているという方もおられると思いますが、有松潤子さんのデザインによる独特のコスチュームで、自信に充ち溢れ、歌そのものになってステージを愛と感動に包む岡本さんでした。
 プログラムから少し抜き書きします。
「大学在学中よりライフワークとして取り組んでいる学校訪問コンサートや、各地の学生らとのステージ共演に力を注ぐなど、音楽教師を目指していたという岡本らしい子供たちとのふれあい活動も全国展開している。その背景にあるのは、地元(高知県)宿毛市の豊かな自然の中で天真爛漫に育った幼少時代と、6歳の時に足の病気を患い、親元を離れて養護施設で過ごした4年間の貴重な経験が、現在の岡本の礎であると本人も語っている。」
 楽しいトークも岡本さんの魅力の一つですが、その中で繰り返し伝えられるメッセージ。「さびしい時、苦しい時、どんな時にも希望を持とう。人に優しくしよう。小さなことにも喜びを見出そう」。そんな愛ある言葉が歌とともにあふれるように出てきます。そして選曲も岡本さんの気持ちを伝えるために整えられています。 
 岡本さんは、“鳥の歌”(阿久悠作詞)を歌ったあと、ちょっとウルウルしながら語ります。「今、高知にいる父のことを考えながら歌っていました。父は日本野鳥の会のメンバーなんですが、もう70歳になり、眼も悪くなってきて、カメラを持ち出すことも少なくなりました。父は時々、施設から私を連れ出し、一緒に鳥を見に連れて行ってくれました」。
 鳥の歌の次の“花”(森山直太朗作曲)は小学校から高校までの男女児童生徒に舞台に上がってもらいます。子供たちの声はバックコーラスになったり、岡本さんと一緒になってメロディーを歌ったり。その編曲は、ピアノ伴奏者で岡本さんの活動のパートナーである榎本潤さんがされていました。
 岡本さんの声を、普通とは違う変なもの、というのは簡単です。でも、そういう世間の見方ではなく、音楽性の素晴らしさ、稀有の素質を見出し、専門的な勉強(国立音楽大学入学)をすすめられた先生に感謝です。そしてすべてを大きな愛情で包んで、岡本さんを育てあげられたご家族にも、感謝です。
 コントラバスに張られたヴァイオリンの弦。細くて、か弱いものをひくために、ヴァイオリンの弓をコントラバス用に作り替えもしたでしょう。ヴァイオリンの倍も3倍も長く張った弦が切れないように、たゆまぬメンテナンスも必要でしょう。
 岡本さんは、「人に優しく」と語ったあと、「もう寝たきりのぼくのおばあちゃんがふっと笑ったりするのを見ると、嬉しいんですよね。自然に優しい気持ちになります」と言っていました。
 この世に一人しかいない“私”を生き切る。喜びをもって堂々と生きる人は、とてもすてきでした。


2009年5月7日(木) 町田市介護支援ポイント制度(仮称)について

介助者の木村です。
 町田市は10月から、65歳以上の高齢者が介護支援の活動をすると、市内の商店で利用できるポイントや商品券に還元される「介護支援ポイント制度」(仮称)を創設します。介護支援活動を通じて、高齢者の社会参加や地域貢献の機会をつくり、自らの介護予防や健康増進に役立ててもらうのが狙い。また地元商店街の活性化にも期待がかかっているようです。
 この取り組みに関しては、異論反論もあろうかと思います。社会保障制度は、国家や各自治体が万全に整備すべきという話から、ボランティアは報酬を求めるべきではない等々。しかし私は、日本の伝統的な共助・互助といった風習を現代風にアレンジしたものと考えています。伝統的な風習の中にですら、田植えの手伝いを交代制で行ったり、その報酬として食事等がまかなわれたりしていたものです。このような風習が都市部を中心に衰退しているものの、その風習があるかないかで災害時に住民同士が協力できたか、できていないか、孤独死が防げたか、防げなかったかということにも影響を与えています。
 ぜひとも日本の伝統的な風習を生かした地域福祉が全国的にも復活・展開されることを期待しています。


参考
町田市介護支援ポイント制度(仮称)がスタートします!
 http://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/hukushi/old/kaigo_yobou/kaigosienpoint/index.html


稲城市介護支援ボランティア制度
 http://www.city.inagi.tokyo.jp/kurashi/fukushi/kaigohoken/kaigosien/index.html


せたがや介護支援ボランティア・ポイント制度
 http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00016786.html


2009年4月3日(金) 家のお花が教えてくれたこと

スタッフの西村です。新年度のスタートに合わせたように、東京の桜も満開。今年度はスタッフ2人とボランティアさんという体制で、「できることから着実に」活動を作っていきたいと思います。今年度もよろしくお願いします。
 さて、家のベランダの小さなお花たちのお話。年末年始に長い間留守にしていたため、帰ってきたときには葉っぱがほとんど枯れて、かわいそうな姿に。心に痛みを感じながらも、忙しさを理由に、時々お水をやる程度。ベランダにゆっくり出る暇もなく、時が過ぎていました。桜の花が咲いたのをきっかけに、「家のお花はどうなったかな?」と、目をそむけてきたお花たちをおそるおそる観察。すると・・・
 枯れた葉と茎の間から緑の赤ちゃん葉っぱが顔をのぞかせているもの。枯れた茎の中で紫の花が一輪だけこっちを向いて咲いていたもの。小さいながらも黄色いつぼみをつけて一生懸命がんばっていたお花たち・・・。すごいな〜と、ただただ感動してしまいました。
 そして、枯れた茎と葉を1本1本きれいに取り除き、たっぷりのお水をあげました。それから2日後。見て分かるくらいに茎も葉も元気になっていました。そして黄色いお花はいくつも咲いて、たくさんのつぼみが大きくなっていました。紫のお花は、ほんの5センチほどの茎と小さな葉っぱしか残っていないのに、もう一つ、つぼみをつけてくれました。
 そして11月に植えたチューリップは?いつ見ても芽が出ていなかったので、少し土を掘り返してみました。冬は寒いからと、心配してお布団をかけすぎたんですね。土の中で一生懸命に伸びようとしている姿。ごめんね、重かったね。少し土を取り除いてみました。ちゃんと育ってくれるかな?
 私の小さなお花たち。その生命力には本当に驚きました。厳しい環境の中でも一心に生きようとする力。ちょっとしたお手伝いで、ぐんぐん伸びてきれいに咲く様子。逆に、勝手な思いで過保護にしすぎると苦しくなる・・・。私のしている仕事もこれと同じだなと。人の力を信じて、それをさりげなくサポートする。人に対しても、お花に対しても、そんな存在になりたいと思った今日この頃でした。


2009年3月24日(火) 当事者主権という考え方

介助者の木村です。先日、センターから情報誌『障害をもつ人々の現在』63号が発行されました。今回の書籍紹介にあった『当事者主権』(岩波新書)は、私が高齢者福祉から障害者福祉分野に移った際に参考になった本です。
 著者である上野千鶴子さんと中西正司さんは、「当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも−国家も、家族も、専門家も−私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である」(P.4)と書いています。当時の私には、非常に衝撃的な表現でした。
 高齢者福祉では、認知症や寝たきりの方々が自分の意思を明確に主張できない場合、専門職は、さまざまな問いかけをしながら表情や行動から意思を汲み取ることを試みます。つまり、専門職が中心となり、「利用者本位」のサービスを心がけることを「良し」としているかと思います。私は、ここ10年間、利用者の意思を確認する努力すらせず、家族の介護放棄を支援するような専門職を多く見てきました。実際、私はここ2年間で160を超える介護保険事業者を訪問し、その半数以上から聞き捨てならない発言を耳にしてきました。「ご本人の希望は何ですか?」の問いに対して、現場の介護支援専門員や介護職が「認知症の高齢者には希望なんてありません」と回答するんです。認知症の高齢者から希望すら確認できない(あるいは確認する意思すらない)“なんちゃって”専門職が多いことには高齢者福祉の危機を感じます。
 実は、「当事者主権」の続編ともいうべき『ニーズ中心の福祉社会へ 当事者主権の次世代福祉戦略』(医学書院)が2008年10月に発行されています。『当事者主権』が2003年に発行された後、2005年には障害者自立支援法が成立し、2006年には介護保険法が改正されました。この本は、こういった社会保障制度が、当事者主権の考え方に逆行していることへの警告ともいえるのではないでしょうか。新刊では、「日本では障害者運動はあったが、高齢者運動と呼べるものはほとんど存在しなかった。ニーズは要求して初めて満たされる。まずはサービスを利用する当事者がニーズを顕在化し、声をあげることが求められている。その点において、高齢者が障害者運動から学ぶことは多い」と書かれています。
 私は、国の制度が逆行していることに加え、高齢者福祉に携わる人材の質にも警告を発して欲しいと思いながら読みました。新刊では、当初の著者二人だけではなく、「高齢者福祉でどう生かすか?」を悩みながらも、すでに取り組んでいる専門職の執筆部分もあります。高齢者福祉の専門職にもぜひ読んでほしいと思いました。
【参考】
第2章 ケアサービスのシステムと当事者主権
第3章 高齢者のニーズ生成のプロセス
第4章 ニーズはなぜ潜在化するのか
 


2009年3月4日(水) ゆっくり、はっきり、わかりやすく

ボランティアの山内です。2月25日の木村さんの意見に賛成!
 手話通訳では“通じてなんぼ”ということが言われます。つまりいくら上手に手話を表しても、いくら正しい表現であっても、相手の聞こえない人に伝わらなければ、(つまり、わかってもらわなければ)意味がないということです。ですから“わかりやすい”というのはとても大事なことです。聞こえないぶん、目を使って情報を得ているので、できるだけ余分な動きは減らし、わかりやすくすると見るほうも疲れません。しかし同時に“言葉”を正しく伝えるのも大切なことなので、いろいろ工夫をする必要があります。
 また、聞こえなくなった年齢や聞こえの具合によって、わかる言葉の程度や様子がさまざまなので、相手の身になって、ちゃんと伝わっているのかどうかを表情から読み取りながら通訳をします。“自分が何を伝えているのか”というのではなく、“相手に何が伝わっているか”ということを大切にする謙虚さが必要であると思います。
 ゆっくり、はっきり話してくれるのは、口の形を読んでいる人にとってはありがたいと思います。また、誰が言っていることなのかがわからなくならないように、主語を省略しないように話すといいと思います。文章が短いと間違いが少なくてすみます。二重否定はこんがらがるもとになるし、できれば肯定文にして話すといいかもしれません。
 なんかいっぱいえらそうなことを書きましたが、わかりやすいのはいいことだ!ということみたいですね。
 亡くなられた心理学者の河合隼夫先生がどこかで書いておられました。うろ覚えで申し訳ないのですが、「真の理解とは、難しいことをいかに簡単な言い方にできるかということだ」というようなことだったと思います。つまり“わかってなんぼ!通じてなんぼ”の世界のお話・・・かな?


2009年2月25日(水) 研修から学んだこと、思いだしたこと

介助者の木村です。最近受講した「接遇、コミュニティースキルの向上を目的とした研修」の中で学んだことをひとつ紹介したいと思います。
 コミュニケーションで大切なことのひとつに「専門用語や業界用語は避けて、誰もが分かる言葉で表現する」という話は皆さんも何かと耳にするかと思います。私もここまでは「そんなん今更、言われなくても分かっているよ」と思いながら聞いていましたが、次の事例紹介でハッと気づかされたんです。
 それは、「見る言葉」と「聞く言葉」においても注意が必要ということでした。たとえば、ゴミの分別を表示する際に「可燃」と「不燃」は見た目で分かりやすいですよね。しかし、この言葉をそのまま聞くとどうでしょうか?「カネント、フネンニ、分けて捨てて下さい」は分かりにくく、「モエルゴミト、モエナイゴミニ、分けて捨てて下さい」のほうが分かりやすいですよね。この表現を、言語障害がある人が発語したり、知的障害がある人が聞いたら、更に分かりにくいかもしれません。
 実は、ここセンターでも当たり前になっていた言葉があるんです。「カミゴミ(紙ゴミ)はハキ(破棄)」といった作業上で必要な言葉や、「ジュケンカヒ(受験可否)」「ショーガイガクセイ(障害学生)」といった業界用語。これらの言葉は、時と場合によって「紙のゴミは捨てる」、「受験が可能か否か」あるいは「受験が認められているか、認められていないか」、「障害をもつ学生」と言い換えたほうが相手に伝わりやすいかもしれません。
 探したらもっとあるかもしれませんね。これを機に、分かりやすい言葉で相手に伝えることを心掛けたいと思った今日この頃でした。
 もうひとつ、思いだしたことについてです。研修って自ら希望して受けているにもかかわらず、つまらないとか、暇だとか思うことありませんか?それが会社命令だったり、資格取得のために仕方がなかったりしたら、なお更なことありませんか?
 そんなときに思い出すのは、「ひとつの研修や講義の中で、ひとつでも身になること、参考になることがあれば儲けもの」という考えを教えてくれた恩師の言葉です。実は、さっき紹介した研修も、ある資格を取得するために13日間受講したうちのひとつだったのですが、ハッと気づかされるまでは恩師の言葉を忘れていたんですよね。
 更にもうひとつ。仕事を終えた後に夜間大学の講義を受けつつ、寝てしまったときのこと。母親世代の看護師さんから「あなたが寝ていた時間の授業料っていくらか計算したことある?」って指摘されて吃驚仰天(びっくりぎょうてん)。
 たとえば、年間の学費が100万円だとして、1日に4つの講義を平日5日間受講するとします。仮に各講義が年間20回開催されるとすると・・・。何と! 90分講義1回分に2,500円の授業料を支払っているんです!
 「ヤッター!休校だ」とか「今日はバイトだから休んじゃえ」と思っている学生さん、どう思いますか?吃驚仰天ではありませんか?


2009年2月17日(火) “ありがとう”はどっち向き?

お久し振り、ボランティアの山内です。
 もう10年以上前のことですが、古い、以前は町田郵便局だった建物にボランティアセンターがあった頃の思い出です。センターの一隅を借りて、週に一度、幼い男の子にドーマン法機能回復訓練をするお手伝いをしていました。
 その子は水の事故で仮死状態になり、脳に重い障害が残りました。自分で運動ができなくなったので、筋肉が退化してしまわないように、その子をテーブルに寝かせ、お母さんが頭を持ち、四肢に一人ずつ付いて、歩く形の動作をさせるのです。お母さんが「1、2、3、4」と声をかけ、四肢についた人全員が、その子をテーブルの上で泳ぐように歩くように動かします。休みをとりながら、1時間半か2時間やっていたと思います。
 あるとき、まだ若いお母さんが「交通費なんて出せないけど、本当に感謝の気持ちだけなんだけど、渡したいのです」と言って、4人に封筒を渡しました。どうしても自分の気持ちを伝えたいと、ボランティアセンターの人に話したところ、「無理がない範囲でなら気が済むように」と言ってくれたそうです。
 4人ともマイカーでしたし、専業主婦3人に大学生というメンバーでした。ある人が「交通費かかってないし、私たち困ってないから、お金なんていいのよ」と言いました。ウーン。私は一寸迷ったんだけど思い切って言いました。「せっかくの気持ちだし、今日はありがたくもらっとこうよ。ただし、大変だったり面倒になったりしたら自然消滅もありよ。とにかく今日はありがとう」と。
 2〜3回こんなことがあった後、いつの間にか自然消滅。きっと気持ちの折り合いがついたんでしょう。お金も手間もお子さんにかけてくれるのが一番嬉しい、というおばさん達(+若者1名)の気持ちもわかってもらえたんでしょうね。気持ちを伝えること・気持ちを受け取ることの大切さと難しさを考えさせられた経験でした。
 障害をもった人やその家族は、いつも“ありがとう”を言う側です。一日に何度“ありがとう”を言わなければいけないでしょう。そしてそれは毎日毎日のことなのです。この○円のお金で、その“ありがとう”の向きが変わりました。お金って何かの“対価”になるだけではないのですね。
 “ありがとう”って言われるのもステキですが、私は“ありがとう”って言うことができるのもステキだと思います。


2009年1月22日(木) 忘年会の会場探し

介助者の木村です。本年もよろしくお願いします。
 さて、話は少し遡りますが、昨年の終わりに行われたセンターの忘年会にちなんで。
 センターでも11月から忘年会の企画を始めました。2008年3月11日(火)の日記でも新年会の会場探しについて書きましたが、今回も会場探しにひと苦労。
 インターネット上のグルメ検索で、「料理のジャンル」「予算」「場所(住所、最寄り駅)」などの項目を指定して、絞り込んで探す便利な方法は、皆さんもよくお使いのことと思います。しかし残念ながら、キーワード検索に「バリアフリー」「車いす」「エレベーター」といった言葉を入れるとヒットしなくなっちゃうんです。結局、今年もネットである程度の情報を集めた上で、一軒一軒、お店を下見して探しました。まさに「師走」です。
 今回は、車いすの方でも入れるよう、店舗までの段差やエレベーターの設置有無、通路幅に加えて、 テーブルに設置している椅子を外して車いすが入れるか、テーブルの高さや足下のスペースは十分か、 トイレまでの移動は可能か、といったポイントを主に考慮しました。ファミリーレストランであれば、 条件がほぼ整備されていることが多いかと思いますが、居酒屋になると全くというほど整備されていないんですよね。ただ、居酒屋でも大手チェーン店では、エレベーターがあったり、店内の段差がなかったり、通路も広く、椅子を外せば車いす利用者2人だけとかであれば、条件をクリアできる場合が多いんです。しかし、今回のように、忘年会で人数が多くなると、座敷や堀こたつタイプとなるため、車いす利用者は使えないというパターンが多かったように思います。
 何人かの電動車いす利用者に話を聞いたところ、カラオケのパーティールームを使えば、大人数でも気楽に飲んだり、食べたり、ついでに歌ったりも可能だそうです。飲食店情報もバリアフリー状況が分かるネット検索があってもよさそうな気がします。

参考
「全国版バリアフリーマップ」(ABS21推奨マップのリンク集)
http://www.abs21.com/salon/zenkokumap/index.html


町田市バリアフリーマップ
http://barrierfree-machida.com/


2009年1月13日(火) ボランティアの吉多(よしだ)です

こんにちは。ボランティアの吉多(よしだ)です。わざわざふりがなを入れました。キチタさんとかホンダさんとか読まれていますので。ありそうでない隠れた珍名さんの一人です。このセンターでの仕事は今年の4月で2年になります。はじめての投稿ですから、ざっと自己紹介から。
 文系の学校を出て、放送局で8年、その後どう間違ったか脱線し、金属材料の販売会社で材料販売と加工の営業を35年。定年退職後やっと本来の文系の仕事(といっても事務手伝いですが)を公立大学協会で6年。その関係も少しあって、障害をもつ学生の方々の大学進学を支援しているこのセンターの仕事をお手伝いしています。
 先月の内閣府大臣表彰、とっても嬉しいです。情報誌62号(センターの機関誌)に写真入りで報告されていますが、同誌40ページからの殿岡さんの「出会いが人生をつくる 〜故 大須賀さんに思いをよせて 〜」を読んで、この表彰の本当の重さを感じました。もちろん、私は大須賀さんにはお会いしたことはありませんが、このセンターでスタッフやボランティアの方々と活動してみて、大須賀さんという方の心がこの中にしっかり受け継がれていることを感じます。
 昨年の暮れ、センターの忘年会でスタッフとボランティアで新しい夢を語り合いました。新しい年、私も更なるバリアフリーのために働かせていただきます。


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